2011年12月26日月曜日

「俊江夫人を偲び吉原泰助氏を励ます会」スナップを公開します

恩師 吉原先生を激励する会が、東京で開催されました。

「俊江夫人を偲び吉原泰助氏を励ます会」です。

その際スナップ写真として撮影したものを、以下順不同で、三浦の責任にて公開します。
ワンサイドに公開されるることに不同意の方は、大変恐縮ですが
三浦 090-4218-6113 までお伝えをお願い申し上げます。すぐに対応します。

またその日同じ場に居られて掲載が無い方は、適切な写真がなかったのだとご理解をお願いします。

当日 最後に歌われた「今日の世紀に」。 
右側サイドバーの写真をクリックして、YouTubeでご覧ください。
( 音量が大きいので、事前にボリュームを低減調整してください。 )


吉原泰助先生

吉原泰助先生 

梁取洋夫さん、渡部三郎さん、最上清治さん

梁取洋夫さん、渡部三郎さん、最上清治さん

梁取洋夫さん、鈴木信夫さん、佐藤正志さん

梁取洋夫さん、鈴木信夫さん、佐藤正志さん

梁取洋夫さんご夫妻

梁取洋夫さんご夫妻

片倉和夫さんご夫妻

片倉和夫さんご夫妻

西澤重雄さん、前山研一郎さん

西澤重雄さん、前山研一郎さん

後藤康夫さんご夫妻

後藤康夫ご夫妻

前山研一郎さん、荒井壽夫さん

前山研一郎さん、荒井壽夫さん

吉原泰助ご夫妻と 森合「五軒長屋」 :梁取洋夫さん(大18回)

去る1218日、東京・千代田区神田の学士会館で
「俊江夫人を偲び吉原泰助氏を励ます会」があり、180人が参加されました。
その時に、梁取洋夫さん(吉原ゼミの1970年卒業生。大18回。
 現在、フリー・ジャーナリスト)がおこなったごあいさつ(約5分間)を紹介します。

ご挨拶中の梁取さん



長文です。下記添付ファイルにて、最後までのご一読をお願いいたします。








2011年12月4日日曜日

管理人が出向きます:情報をお寄せください。

寒くなりましたね!!

所用があり、東京 神田に出向くことになりました。
18日 昼から夜まで、学士会館に参ります。

どなたかと情報交換の機会が作れればと思っております。

090-4218-6113 三浦 まで、
ご連絡をお願い申し上げます!!

この時に、多くの先輩諸兄、同窓とお会いできそうです。
また、情報発信いたします!

斎藤 紀医師、朝日新聞で語る

朝日新聞3面に
「プロメテウスの罠」と題した
取材記事が連載されています。
12月2日、福島医大を卒業した
斎藤 紀医師のコメントが
掲載されました。

肥田舜太郎医師は、10月
名古屋市で講演をされました。
「日本中の多くの国民が、
新たな被爆者になった」と語りました。

この連載記事で、肥田医師の言ったことが
現実に進行していることを知らされます。

2011年11月8日火曜日

短信

森合通信に投稿が少なくなりまして、恐縮です。
アクセスは本当に多いのです、ビックリする位です。
ご覧頂いている諸兄! 是非、情報をお寄せください。

6日、当地名古屋で あいち赤旗まつり がありました。
壇上で、大震災リレートークがありました。
終了したあとパネリスト2名の方に、ご挨拶をしました。
大坪涼子議員さんには、大先輩 藤倉泰治さんによろしくと。
・佐藤八郎議員さんは、飯野に役場を移して奮闘されているそうです。
 仮設住宅が、妻の実家から300Mのところでした。

震災からまもなく8ヶ月になります。冬の寒さがついに到来しました。
支援を続けていきたいと思います。

2011年10月31日月曜日

10.30反原発福島大集会: 河本兼美さんから

10.30反原発福島大集会に参加してきました。今帰りのバスの中です。渋滞しています。
参加者一万人以上と発表がありました。
橋本くんには会えませんでしたが、地区委員長されている藤倉さん、真木名誉教授にお会いできました。
藤倉さんは、11月20日に県議選があり責任者として大変そうでした。
真木先生は、79歳で若々しかったです。九条の会で講演する機会があるそうです。
詳細はメールで知らせてくれますのでわかり次第ブログに反映させたいと思っています。

(管理人追記)
この大集会の様子は、全国紙一般マスコミで報道されませんでした。
福島民友が3面、福島民報が2面、毎日が第1社会面に少し。
朝日、読売、産経、日経、河北新報は1行も見当たらないようです。

このブログ記事が、突然3桁のアクセスになりました。
驚いていますが、その背景は一般マスコミの報道状況があると思わざるを得えません。
遠く海外からアクセス頂いている皆様に感謝申し上げます!
真木先生です!















藤倉英一さん


2011年10月9日日曜日

後藤教授から: 公開講義があります

ご無沙汰しております。
後藤康夫(代筆)です。
添付ファイルのような公開講義を企画しました。
よかったら、ブログに反映していただければ幸いです。
大学も本当に大変ですが、できることをやろうといろいろ企画しております。
お元気でお過ごしください。



(管理人 三浦から)
後藤教授から、嬉しいご依頼を頂きました。
早速、掲載いたします。
真木教授のお名前もあります。 近くなら、参加できるのですが。



2011年10月8日土曜日

なくせ!原発10・30大集会inふくしま

山田瞬先生、吉原泰助先生が呼びかけ人となって、この30日に
福島市で「なくせ!原発10・30大集会inふくしま」が開催されます。

「県内そして全国各地でとりくまれている運動をひとつにつむぎ、
大集会の成功で、要求実現をすすめましょう」と訴えています!

会場の「四季の里」は帰省したときに行楽で行きましたが、広々とした施設です。
大勢の参加者で埋めつくして、大成功してもらいたいものです。

2011年9月19日月曜日

土湯温泉 観山荘。 温泉街、風評に泣く。

土湯温泉 観山荘。 聞いて懐かしいと思う人も多いのではと思います。
ゼミや、会合で幾度も泊まりました。 飯をたらふく食べ、酒も夜通し飲みました。

貧乏学生だったのに、なぜ 何度も宿泊出来たのでしょう。
経営者が、福大生に協力的だったのでしょうか・・。

その観山荘は、倒産していました。震災で、上層階の破損もそのままにです。
8月に土湯に行きました。残念で、写真も撮らずじまいでした。
観山荘の、記事です。

http://n-seikei.jp/2011/05/post-5994.html

さらに、震災から半年経った今になって、
他のホテル旅館でも廃業が相続いているとのことです。
( 19日 赤旗しんぶん )
縮退する福島県経済。 どうにかして支援していきたいものです。

2011年8月29日月曜日

 地方議員選挙に同窓2名が立候補!

(19日、追記します。三浦)
藤倉泰治さん みごと上位当選でした。
918票で、3位(定数18)でした。
他の2名も、2位と4位で全員当選されています。
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(6日、追記します。三浦)
橋本憲幸さん みごと当選されました。
2451票で、25位(定数40)でした。
他の2名も含め全員当選されています。
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地方議員選挙に同窓2名が立候補されています!
大23回 橋本 憲幸さん(昨28日告示)
大20回 藤倉 泰治さん(来月4日告示)です。
カンパなど、支援をお願いします。

前山研一郎さんからは、いち早く支援を訴えるメールが届きました。
> 三浦さん
 ブログに掲載してください。
 本日付け「赤旗」に陸前高田市議の藤倉さんの記事が出ています。
 カンパ等可能な限りの応援を送りましょう!
 藤倉泰治さん住所は
 〒029-2201岩手県陸前高田市矢作町字諏訪62  
 TEL090-8254-3047

橋本憲幸さんの連絡先は、下記の通りです。
〒963-8851福島県郡山市開成6-310-3 
TEL 024-934-0844 または 024-924-2521





2011年8月26日金曜日

震災をどう乗り越えますか? :朝日新聞の記事を転載

22回生のブログに、
8月26日朝日新聞の記事を掲載しました。
現学長 入戸野 修さんへのインタビューです。

大学の存亡の危機という認識を、強くお持ちです。
下記のURLからご一覧ください。 (三浦)
http://fksmunv22.blogspot.com/2011/08/blog-post_26.html

2011年8月24日水曜日

星野先生の記事が新聞に掲載されました。

星野先生の記事が新聞に掲載されました。転載します。(8月18日赤旗しんぶん 1面)
先輩諸氏からも、情報提供を頂きました。遅くなってスイマセン。

別件ですが、先日死去された歌手の 二葉あき子さん は、
あの8月6日、汽車がトンネルの中で難を逃れたとのことです。
広島市近辺に長いトンネルは無いように思います。 
先生の記事と比較して、感慨深いものが感じました。
http://pointex.biz/initial/archives/2011/08/1617082617746




2011年8月10日水曜日

管理人がまた、出向きます:情報を!!


暑いですね!!

田舎で同窓会があり、またまた秋田市、福島市に出向くことになりました。
15日夜 秋田市で、
17日-18日は福島市で、どなたかと情報交換の機会が作れればと思っております。

090-4218-6113 三浦 まで、ご連絡をお願い申し上げます!!


2011年8月1日月曜日

橋本憲幸さん( 郡山市会議員 ) 新聞に

大23回 橋本 憲幸さん( 郡山市会議員 )の事が、
新聞に載りました。 転載します。 
8月28日告示、9月4日投票です。 まだ先は長い。

当選目指して、選挙ガンバレ!!


2011年7月27日水曜日

7月23日東京信陵会がありました。 その様子です。

(8月24日追記: 写真3枚を追加します。 一番下を参照ください。
          前山 研一郎さんからの提供です。 )


7月23日東京信陵会が、霞が関ビルでありました。 
その様子を写真でお伝えします。
関東以外の方は、懐かしいお顔がご覧頂けると思います。

大震災以後に、学生が安全な環境で学問に励める環境を整備しようと
大学当局も苦難していることを知りました。
同窓諸氏との交流もあり、参加してよかったと思っております。


(梁取さん、星さん、佐藤さん)
(片倉さん、佐藤さん)
(前山さん、佐藤さん)

(千葉さん、河本さんご夫妻)
(23回生。 2次会の様子。 )
(河本さん  オカリナ演奏で、同窓会を盛り上げる!)



(8月24日追記: 写真3枚を追加します。 前山 研一郎さんからの提供です。 )





2011年7月2日土曜日

7月2日 河本 兼美さんの投書が新聞に!



7月2日、しんぶん赤旗 「読者の広場」欄に
河本 兼美(大23回)さんの投書が掲載されました。 
カタ記事なので、一番いい場所です。

日野 進さんからも、お知らせ電話が早速ありました。 














← 
一応、足はついているようです。
静止画のため、
動くかどうかは判断できません。










左の方が
奥さんです。

(2枚の写真は、
 河本さんメールからの
  転載です。)

わたくし事ですが・・ (三浦 隆)

わたくし事ですが・・、会社定年となりました。 
民間会社は 定年辞令 というものがあります。 (下記URL参照)
http://fksmunv22.blogspot.com/2011/07/blog-post.html

これからもお付き合いをお願い申し上げます。(三浦 隆)

2011年6月24日金曜日

覚方 守さん(23回)  「ゴーヤの苗で緑のカーテンをつくる 」訴え

前山研一郎経由で届いた 覚方 守さん(23回)のメールです。 

訴えそのものを貼付します。 クリックしてご覧ください。


ゴーヤの苗で緑のカーテンをつくる”

      注文で復興支援にご協力お願い致します!!
ネットによる注文
  ・「Plant 2 Plant」  から 検索
   ・「P2P 発電所から緑の苗へ 南相馬発“ゴーヤのカーテン”」をクリック
   ・Plant to Plant のページがでてきますので
   ・「ご注文はこちら」をクリックしてください。
  ・「オーダーフォーム」からご注文お願致します。

これからの復興支援につながる取り組みとなります、個人でも会社であってもご協力頂ける範囲の中でお力をお借し下さいますよう、皆様よろしくお願い致します。

         福島県を以前の状態に戻すため微力ながら取り組んで参ります
                        覚 方  守






























2011年6月23日木曜日

管理人が出向きました:友人情報です。

管理人が出向きました。友人情報を掲載します。


1、後藤 雅子さん(大23回) 6月10日。
     同じ秋田出身ですが、ゆっくり会話したのは久しぶりです。

2、仙台友人一同と短い時間でしたが、談話しました。 6月12日
( 音声付きスライドをご覧ください。  
  阿部公雄さんの天国と地獄のヒトコトが印象的でした。 この 仙台友人一同談話 をクリック。)              http://www.youtube.com/watch?v=G2Kd0-NAubw

 ・村上英夫さん(大23回) 大島の被災を思い、絶句。 無理に録音させて貰いました。
 ・渡辺光敏さん(大23回) ブログトップの県庁前写真を撮影された方です。
 ・庄子幸太郎さん(大22回) 仙台市役所を退職し、今は嘱託。被災者支援を続けています。
  ご自宅も屋根が被害に遭い、修理が終わるまで自宅を離れての生活になるそうです。
  ・阿部公雄さん(大22回) 農協幹部として多忙。自宅の塀が倒壊し市広報に掲載されたそうです。

3、藤倉 英一さん(大22回) 6月13日
勤務先の事務所でお会いしました。 学生時代と同じように作ったポスターを、見てください。





2011年6月2日木曜日

管理人が出向きます:情報をお持ちください。

秋田、仙台、福島、神戸方面の同窓諸兄。 いつもブログ閲覧、ありがとうございます。

ブログ管理人の三浦です。この9日から、各地に所用で出向きます。
震災に関連する情報をお持ちの方、写真など預託頂ける方、ご一報をもらえれば嬉しい限りです。 下記が日程と宿泊先です。 一応の会食予定は立てていますが、まぁとにかく一坏・・と思う方も、ご連絡をお待ちいたします。

連絡) 三浦 携帯まで。  090-4218-6113

 9日(木)宿泊秋田市。 ドーミーイン秋田17時着。        018-835-6777。 (高校時代友人と会食予定。) 
12日(日)宿泊仙台市。 庄子幸太郎氏と会食予定。 宿泊なしで福島市に移動か・・。) 
13日(月)宿泊福島市。 松川町に宿泊。
14日(火)宿泊神戸市。 ホテルモントレ神戸17時着。      078-392-7111。 (会社友人と会食予定。)

覚方 守さん(23回)のメールです。 「全国の福大同窓の皆さまへ発信お願いしたい件 」

前山 研一郎さんからのメールです。


三浦さん
覚方君からの「要請」がありましたので、これをブログに転載願います。詳しい事はわからないので、どう対処するかはこれからです。私は、明日(3日)から所用で仙台に帰り、市内と石巻、南三陸、気仙沼をこの目でみてきます。



 Subject: 全国の福大同窓の皆さまへ発信お願いしたい件

 前山 さま
 ・被災からまもなく三カ月が経過しようとしております。自分ができることがあるはず・・・考えた結果が、人災によりつくられてしまった”風評被害”を少しでも和らげていく取り組みに関わらせて頂くことで、福島県を以前の通常の状態に近づけることができるのではないか・・・、と考えられるようになってきました。
 ・今回、やっとそのような思いから自分が納得できる取り組みに”遭遇する”ことができました。全国にもその地域の名前は知れ渡りました浜通りに「南相馬市」がございますが(かつての原町市などが中心となり合併しました市です)その地方の”種苗生産団体”さま、かつては福島県のキューリの苗の30%近くを生産し、農業生産者の皆さんへ苗を供給する事を生業としておりましたが、今回の原発事故後、福島県内での農産物の出荷制限・摂取制限の影響から、また制限はかかっておらなくとも購入されない、売れても半値にもならない価格などから、農産物の苗も必要とされる状況でなくなり「苗をやむなく廃棄してしまう」という、苦渋の決断をされたそう です。

 ・今の環境でも「作れる苗があればつくりたい」、知恵を絞りたどり着いたのが、福島県で作ってきた
以前の苗とは違う「ゴーヤの苗」をつくることだったそうです。本来のつくりたい作物ではないが、

 ○今の環境で生産して安全である作物であること、(放射線量測定値から問題のない数値)
○これから向かえる夏場の節電対策の大きな武器となる”緑のカーテン”が作れる作物である個人の家、マンションで、会社・工場でも暑さ対策には貢献する”すぐれもの”であること
○これからの「復興の足がかり・キッカケ」となる取り組みとなる生産者の方は農産物が作れることがすべての前提であるのです。
以上の理由からこの生産団体の皆さんが立ち上がり、私がその内容を知ったのはNHKのニュースでありその内容が”体にビビビと流れるもの”を感じさせたのでした。今は民放系列の中でも紹介されるような取り組みとなっております。(ミヤネ屋など)
 ・すぐに先方さまと連絡を取り合い、この6月の中で私も関われる取り組みを提案しております。
*ヨークベニマルの店舗にて
○店頭スペースをお借りしての「ゴーヤの苗で緑のカーテンをつくろう」キャンペーンのPR
○インターネットにて 「ゴーヤの苗の購入」のPR
*全国の知人、友人、の皆さまへ
○インターネットから南相馬市の「ゴーヤの苗で緑のカーテンをつくろう」キャンペーンへの協力依頼

このふたつの取り組みにて「福島県の復興支援と、風評被害を払しょくしていく」取り組みにできるはず!!具体的に”私でもできること”が見えてきたところであります。

・そこで今回は前山さんへお願いしたい事があります。
全国に散らばった皆様にご協力のお願をしていただきたいのです。
○「ゴーヤの苗で緑のカーテンをつくろう」キャンペーンに賛同しご協力ください。農産物の苗の生産者が立ち直ることが、福島の農業の復興につながります。だから各地の皆さんに、是非「ゴーヤの苗」の基本セットの購入によります支援をお願いしたいのです。ホームセンター等の販売価格とは違います、復興支援の考え方に賛同頂きまして協力頂きたいのです。ひろく前山さんの伝手、人脈などによりまして、福島県の復興のキッカケとなりうるであろう取り組みへの賛同を得られれば、本当に頼もしい限りであります。
        ***具体的な注文などにつきましては、注文方法などが確定いたしましたら送らせて頂きます、その案内を使いましての皆さまへのPR、協力、お願いできましたら大変うれしく、感謝感激であります。
 *** 大変お忙しい中申し訳ありませんが、お力おかしくださいませ。 (文責:三浦)

2011年5月16日月曜日

大高 誠さん(22回)のメールです。 全障研への文章。

16日に大高 誠さんから届いたメールです。(三浦)


宮城の大高です。  実に懐かしいです。お元気のようで何より。 ブログへの転載、OKです。
昨日(15日)も石巻にボランティアで復旧活動を行ってきました。
 ある個人宅の床下の泥上げです。作業しやすいように床材をまず壊して、それから約2センチくらいの層になっている
ヘドロを麻袋に詰めて運び出す作業です。 アスファルトの柔らかくなったのを想像してもらえばよいです。
津波の押し寄せたところはどこもヘドロの置き土産があります。放置しておくとカビが生えたり、有害物質が発生するようです。津波はきれいな海水ではなく真っ黒な濁流なのです。
 震災後2ヶ月経っても一向に片付かないがれき、民家に突き刺さったままの車、あるはずのないところにある漁船。宮城の27年分の廃棄物が一気に吹き出してしまって、手はつけているが気の遠くなるような量です。
  町にはボランティアの若者があふれていました。私は全労連関係のグループで活動しましたが、他に無数の団体が入っていて、それぞれに腕章やゼッケンなどつけて活動していました。この若者たちとともに未来を切り開いて行こうという思いが体中に広がったような気がします。


前山 研一郎さんに寄せられたメールを転載します。
大高 誠さんは、私の同窓で、同じ秋田県出身です。 心配をしていました。(三浦)


宮城の大高です。
 お見舞いありがとうございます。
 古川は震度6強(3.114.7)で古い建物はかなり被害がありました。
 幸い私の家は本や食器が壊れ落ちたくらいで建物にはそれほど被害はありませんでした。 地震保険の調査で「一部損壊」ということです。保険金額の5%が給 付されました。 
 4月上旬に全障研に送ったメールです。その頃の私の思いです。
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 震災から早一月が経ちました。停電が解消し(10日後くらい) 震災後初めてテレビを見た時に、津波はこんな映像で報道されていたんだと思い知らされました。 それまで新聞で写真は見ていましたが、映像で見たときのショックは私の写真からの想像を遥かに超えていました。これが津波なのかと。
 気仙沼、石巻の知り合いの安否が気になりましたが、携帯電話をかけるまで躊躇しました。一刻も早く安否を確認したいという思いともしやという思いとが交錯して 携帯のボタンを押す指先が震えていました。電話はつながりました。電話の向こうに友の声がありました。無事でした。家は流されていました。学校で勤務の最中、2キロの道を必死に駆け上って逃げたそうです。車は流されました。すべてが流されて涙一粒も出ないと話していました。
秋田の甥っ子から電話が来ました。私が 無事でいることに感激していました。人が生きていること自体に素直に感動せずにいられない、そんな状況でした。3週間後、ようやくガソリン事情が通常に戻った ので被災地に行きました。 自分の思い出の中の沿岸部の浜の様子を直に見てみたいという思いにかられて支援でもなくボランティアでもなく、とにかく行ってみたかったのです。石巻、女川、 志津川(南三陸)。一体、何が起きるとこのような事態になってしまうのか、どんな力がこれほどまでに破壊し尽くすのか、これほどの自然のパワーってあるのか、私には想像ができませんでした。「津波」のイメージと目の前のがれきの山の現実がつながらないのでした。自分の目線より遥かに高いところまで襲ってきた津波の黒い水の固まりを想像できませんでした。何人の人がその黒い水の固まりに飲まれたことか、いまだ実数がつかめていません。そこに生きていた根拠がすっかり失われてしまいました。記録も流失しました。それを記憶していたであろう隣人もいないかもしれません。生きていたことも死も記録されずにこの世から消えてしまったかもしれません。
 「がんばれ!」って頑張っていない人に向ける言葉です。もっとできるはずだと。或いはもっと伸びるという期待を込めた励ましです。しかし、被災地の人にガンバレ! はむごい言葉です。私たちは一日も早い復興を願って静かにできることをやるしかありません。
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 沿岸部の地盤沈下と福島の原発被害は将来への夢を打ち砕いています。これまで生きてきた土地での復興、再生ができるのかどうか、どの地で頑張ればよいのか、今のところ希望の地を見いだせていないのが現状です。震災失業もあふれています。とりあえずの失業保険で食いつなぐとしても、それは最長2年のことで、その先は何も見えていません。明日は石巻で支援活動をします。「何かした い、自分に何ができるか」そんな思いで日々暮らしています。  大高 誠

金野 堅市さん(23回)の消息を教えてください!  河本 兼美さんから。

金野さんご自身はご無事でした! 
23回千葉さんの連絡を待ちたいと思います。(三浦2日)


先程、同期の千葉仁志くんから電話ありまして、先週木曜日行方不明だった金野くんからハガキが届き、無事だったことが確認できました。電話で話しもできたようで、津波がきたとき、高齢の両親を車に乗せて逃げようと必死だったようです。津波の速さに呑まれ無我夢中で自分がどうなって助かったか記憶がないとのこと、両親は体も不自由ということもあり亡くなったそうです。金野くんが助かったか後、記憶をたどり車をみつけ、両親をみつけることができ、報道されたように、土葬で仮埋葬し、しばらくしてから火葬ができて、供養したようです。詳しくは、千葉くんが、ブログ森合通信に投稿しますのでよろしくお願いいたします。 (河本さんから、1日にメールでご連絡がありました。)

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三浦隆様

この度は、前山先輩の一通のハガキから「森合通信」のブログにまで繋がることができ感激しています。やはり、人生を特に後半の第2の人生を豊かに、楽しくしていけるのは、
気のおけない友人や仲間の存在だと思っています。
このブログは、福島大学時代の仲間の情報交換ツールとして
今後大いに役立つと思いますし、活用したいです。少しでも輪を広げていきたいです。

大震災後、同期の千葉仁志くん
(長男・和彦くんは、J1新潟アルビレックスDF背番号3)と話したのですが、
同期で旭寮で共に過ごした金野堅一?(こんの・けんいち・気仙沼在住)くんが
その後連絡が取れない、もしかすると津波に襲われたかもしれないと。
あれだけの大きな災害でしたので情報がつかみきれていない状況だと思います。
もし、安否情報をお知りの方がいらっしゃいましたら情報をお寄せください。 
23期生 河本兼美(信夫寮・男声合唱団)     

三浦追記 16日: 正しくは 
金野 堅市さん です。 朝日新聞で検索しましたが、確認できません。
どなたかご存知でしたら、安否情報をお寄せください。 お願いします!
金野 堅市さんは数年前、気仙沼市の山側から海側近くに転居されたとの、河本さん情報です。


三浦追記 16日: 仙台信陵会ブログができたとのことで、そちらにも投稿しました。  

2011年5月14日土曜日

西沢 重雄さん(18回)のメールです。旭寮OB情報です。

前山研一郎さんに寄せられたメールを、転載します。(三浦)

一寸前の情報ですが、まとめたものなどを、以下に記載します。
安否で気になるのは、やはり同年代でお互い顔を知った仲間(寮など)です。

( クリックすると、拡大します。 掲載の方の氏名は新着情報等に掲示しません。 三浦