後藤 康夫さんからのメールを、転載します。
次のトピックスも併せてご覧ください。(三浦)
1 後藤康夫の「3・11 帰宅難民 イン 東京」
3月11日は経済理論学会の機関誌『経済理論』の編集委員会で上京し、専修大学神田キャンパスで地震に遭遇しました。編集委員会終了後、徒歩にて東京駅に到着。この日は、東京駅の地下歩道に新聞紙を敷いて、一泊しました。同じような人が数百人いました。
12日は、新幹線待合室に移動し、東北新幹線の運転再開をひたすら待っていました。夕方には上越新幹線が再開、東北新幹線は再開せず、待合室にて、今度はダンボールを敷いて二泊目。但し、待合室の乗客による「毛布ぐらいだせ!」の抗議により、一人あたり一枚の毛布が支給されました。13日は、早朝5時、宇都宮までJRが走るとの情報を受け、上野駅に行き、上野駅から宇都宮駅までJR在来線で移動しました。宇都宮駅には、福島や仙台、岩手、山形、秋田方面に向う乗客がたくさんいました。ジャンボ・タクシー(9人乗り)で、郡山まで乗ることが出来ました。郡山からは、またタクシーを乗り換え(3人相乗り)て、福島に夕方、無事、辿り付く事が出来ました。
こうして、「帰宅難民」から解放されました。 とは申しましても、震度4程度の余震の頻発、上空をひっきりなしに飛ぶヘリコプターのバリバリという騒音、救急車や消防車の間断なく続くサイレン、そして福島原発の建屋爆発と付近住民の避難(福島市は少し離れており、避難の必要はありませんが、風向きによっては危ない範囲にあります)と、なかなか心が落ち着きません。断水も続き、生活水に事欠く毎日です。ようやく、本日あたりから固定電話もぼちぼちつながりはじめ、全国から励ましの声も届くようになりました。
福島大学は、入試は「中止」(センター試験のみで選考)、建物にも15日まで入校禁止、となっています。 2011年3月14日 後藤康夫記
断水はその後も続き、8日間に及びました。 福島は、地震、津波、余震、原発、風評被害と「五重苦」にあります。福島大学の入学式は、5月に延期になりました。研究室も自宅の書斎も、やっと整理がついたかと思った矢先、4月7日深夜の震度5強の余震で、またしても崩れました。とくに絶え間ない余震と原発への不安は、かなりのストレスです。
2011年4月9日 震災から一ヶ月を前に 後藤康夫記
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