2011年3月31日木曜日

陸前高田市議 藤倉泰治さん 




↑ 4月19日 しんぶん赤旗を転載します。
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31日しんぶん赤旗に、陸前高田市議 藤倉 泰治さんも拠点とする12畳のプレハブ事務所が完成したとの記事!
事務所をバックに藤倉議員も元気に写真付きで載っています。記事を、転載で掲示します。

2011年3月30日水曜日

竹田 洋樹さん(大19回)からのご連絡です!!

連絡有難う。
皆様、当然の如く、今回の災害被害に対処している様子、さすがです。
東京は、東京信陵会の幹部会議が3日(日)にあり、そこで対処対策が話し合われる予定です。
私も出席します。  沖縄では、私と同期の山本が「五色会」(在沖縄の福島諸大学OB会)で、
義援金募金活動をやっているようです。


諸々活動は当然ですが、認識しておかなくてはならないことは、地震、津波、
までは天災ですが、原発関連は紛れもなく人災です!
危険可能性の線引きの難しさは理解するが、なんだアイツらの態度は!まったく。
危ない作業を下請けにやらせて、対応お粗末の東電の幹部経営者連中、
ニヤけ感じで会見(笑って言う話か!)の保安院、今迄の原発推進派の安全神話
(ミサイルが撃ち込まれても大丈夫、などと言っていなかったか?!)作成の御用学者及び論客、
皆、指つめろ! アタマ丸めて切腹せよ!

前山 研一郎さんから、メールを頂きました!!

ご無沙汰しています。お元気ですか。ご連絡ありがとうございます。
震災発生以来19日、日を追って明らかになる被害の大きさに暗澹たる
思いです。  本人あるいはご家族ご親戚が被災された福島大同窓の
みなさんに、心からお見舞い申し上げます。


11日当日私は東京の自分の事務所におりましたが、大きな揺れで
重たい書庫が傾き、部屋は散乱。 その日は電車は動かず事務所に
泊まり、翌日は、仙台、福島の兄弟、親族、高校・大学の友人知人に
メールや電話を入れましたが多くは不通。
その後4時間かけて電車を乗り継ぎやっとの思いで上尾市の自宅に
帰宅しました。 テレビでわが故郷仙台に津波が押し寄せるさまを
リアルタイムで見せつけられ慄然といたしました。


この間連日、福島大同窓の諸兄に連絡を入れ、安否消息の確認作業を
続けてきました。多くの方から返事があり、無事の知らせに安堵しましたが、
親族、知り合いが被災された方、また連絡の取れない同窓生も少なくなく、
ただただ無事を祈りながら連絡を待つ日々を過ごしてきました。
今も一日に2、3本以上の問合せや情報提供の連絡があるので、
一日の半分はその対応に追われ仕事も手につきません。


恩師の消息では、福島の相澤先生山田先生はご無事でお元気。
吉原先生は当日東京出張で難を逃れたそうです。福島市内は、電気、ガス、
水道などが一時ストップしたものの大きな損壊はなかったようですが、
ガソリンや食料品不足などでの混乱がしばしあったと聞いております。
また例の原発事故の影響もあり人心は穏やかではないようです。福島大
にも浜通りからの被災者が避難しているとのことです。


こうした中で、陸前高田市の藤倉泰治さん(20回)、
八戸市の田勝さん(18回)、かすみがうら市の佐藤文雄さん(21回)、
郡山市の橋本憲幸さん(23回)らの地方議員や藤倉英一さ(22回)
最上清治さん(20回)はじめ福大出身の現地活動家の皆さんが、
被災者救援の先頭にたって奮闘されていることに心から敬意を表したいと
思います。 私も連日、地元上尾市で救援募金にたち支援をよびかけております。
同窓のみなさん、未曾有の大災害です。
できうる限りの支援を集中しようではありませんか。


多くの方々から情報が寄せられ、同窓生の消息もしだいに明らかになりつつ
ありますが、それもまだ一部です。特に福島、宮城、岩手の友人たちの
現状がわかりません。まだ落ち着かず、連絡をよこすどころではないのかも
しれません。
私は、引き続き自分のネットワークを駆使して連絡先のわかっている皆さんに
お見舞いの手紙、メールを送り消息確認の作業を行なっていきます。
それが私に与えられた使命と心得、がんばるつもりです。同期生、ゼミOB、
クラブ関係、先輩、後輩の情報をお寄せください。
皆さんのご協力を切にお願いいたします。     ( 30日 三浦あて )

2011年3月29日火曜日

藤倉 英一さん、被災地で活躍 29日の記事です

5月17日、福島県に19次の申し入れをする 藤倉英一さんです。
写真をご覧ください。






福島県の久保田仁県委員長は、相馬市と新地町を訪れ、
義援金各500万円を手渡しました。
藤倉英一福島相馬地区委員長が同行しました。

相馬市の立谷秀清市長は、南相馬市からの避難者も
迎え入れながら、苦闘している現状を説明。
復興事業への国のバックアップ、福島第1原発の事故の一刻も
早い収束、経済流通の早期正常化などを求めました。
新地町の佐藤清孝副町長は、下水処理施設と海岸の護岸工事が
復興の要だと強調しました。
両氏とも、仮設住宅の建設を最重要課題の一つにかかげ、
協力を求めました。 ( 29日 しんぶん赤旗 )

2011年3月28日月曜日

最上 清治さん、南相馬市での写真です。

(  最上さんの代理の方から、近況のメールを頂きました。 メールは31日。 公開日 4月4日 )


日本共産党福島県委員会へのメール、ありがとうございます。

中央委員会の市民運動・中小企業局長となった 最上清治さんですが、
原発問題への対応のため、現在、中央現地対策本部のメンバーとして、党県委員会につめております。

そんなわけでいまお伝えしたところ、うれしそうに 「むふふ」 と笑いながらブログを見ていました。

藤倉さんにも伝えます。   ( 日本共産党福島県委員会  町田和史 )
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髙橋 ちづ子議員の後ろは、最上 清治さんです。 
記事は写真右のとおりです。 27日南相馬市での撮影です。 
訪れたのは同市原町地区の田園地帯だった地域です。今は泥の海と化していました。津波で26人以上の死者を出した介護老人保健施設「ヨッシーランド」も見えました。 /  志位氏が行方不明者の捜索状況について聞いたのに対して、日本共産党の渡部寛一市議は「表面捜査は終わっていますが、がれきの中や泥の中は手つかずです」と説明しました。 /  遠くの方には、行方不明の家族や思い出の品を捜しているのか、必死に足元をのぞきこんでいる人たちの姿も見えました。
( 三浦 追記 )
原町市の市会議員で、早逝された 故半杭 美千雄さんを思い出します。  この事態を遠い空の上からどう眺めておられるのでしょうか・・。また、半杭さんのお墓は、奥さま・ご家族は、どういう状況でしょうか。 
 ( 28日 三浦)

藤倉さん、最上さん 被災者避難先で活躍の様子です。

28日しんぶん赤旗の一面です。 日本共産党志位委員長と同行して、
被災者避難先で懇談をした様子が報道されました。
( 記事を転載します。 )
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik10/2011-03-28/2011032801_01_1.html








































神山悦子、藤川淑子両福島県議、宮本しづえ県議予定候補・党県副委員長、
久保田仁党県委員長、斎藤泰党県自治体部長、
藤倉英一福島相馬地区委員長、最上清治党現地対策本部員らが同行しました。

2011年3月25日金曜日

信陵同窓会のHPに、もうひとつのブログが

森合通信と並行して制作していた 大22回生 向けのブログが、
信陵同窓会のホームページに、リンクされました。
福島大学ふーふー会 で、検索できます。
お陰様でアクセスが増加し、今日だけで5件ありました。

この森合通信も、先輩・後輩・福島大学短大・福島大学教育学部・
他の学校 (看学、学院、保専、桜の聖母、農短、医大など)の人に、
アクセスされるブログになりたいと思います。

でも、相手が分かりません。もっと早く対応すべきだったと思っています。
皆さんのお力で、ぜひ多くの人に このブログ紹介をお願いします。 


ブログのURLは、下記の通りです。
http://moriaiblog.blogspot.com/ 


私のメルアドは下記の通りです。(三浦)
miura3desu@kjc.biglobe.ne.jp

かつて福大生の方へ。今の消息をお知らせください。

大震災から今日で2週間=15日目です。 本格的にブログの公開を進めています。
・ご友人に、このブログの存在を、教えてあげてください。
 検索ポータル( Yahoo! とか )で  森合通信 と入力して検索すると、ヒットします。
・このブログのURLを、メールにコピペしても、OKです。


・ブログTOPに、1972年バスツアーの写真を掲示しました。
この写真を眺めて、自らと 友人の今の消息をぜひお知らせください。
この写真をご希望の方は、 その旨ご連絡ください。 
お互いの個人情報を尊重する約束の上で、
圧縮したファイル形式で、 メール添付にてお送りします。
ご連絡をお待ちしております。 ( 25日 ・ 大22回 三浦 隆 )

2011年3月21日月曜日

藤倉 英一さん、被災地で活躍されています

20日被災自治体首長への激励と懇談を、日本共産党福島県委員会と福島・相双地区委員会が行ったとの記事。


藤倉 英一さんは、地区委員長です。
被災地地元で奮闘されていることに敬意を表します。

記事を転載します。



2011年3月18日金曜日

斉藤 紀 医師: 彼は古い友人です。

(あとでPDFで貼り付けますが)18日赤旗 11面に
「必要な薬 無料で避難所に  斉藤 紀 ・わたり生協病院医師に聞く」の 
記事が掲載されています。  斉藤さんは、私が20歳のころからの友人です。
その後広島市で大病院の院長になり、2年前に福島市
(奥さんの出身地。この人も知り合いです)に帰られました。 
この緊急時に、的確な提言をされていると思います。
(三浦 18日)

日野 進さんからの情報

17日、日野 進さんからの情報です。

庄司 修二さん(大22回)は、自宅にヒビが入ったが元気です。
宮内  勉さん(大26回)は、元気です。

良かったです。 (三浦 18日)

2011年3月14日月曜日

庄子 幸太郎氏 自宅情報。

朗報です!日野さんが電話をしてつながり、奥さんと会話できました。
高速道路が防御壁になり、2Km手前で津波から逃れられたと。
良かったですね!! 安心しました。
因みに、幸太郎氏ご本人は、3月末で定年であることを顧みず 
市役所の仕事に専任されているとの奥さんのお話です。
彼の本領発揮ですね。(三浦 17日21:30)
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仙台市若林区今泉2-14-19。
皆の愛すべき友人 庄子 幸太郎氏の自宅住所です。

先ほどNHKニュースで、近隣 六郷小学校だけが残っている報道がありました。
本人は太白区役所勤務中と推定します。
ご自宅はどうでしょうか。   心配です。 (三浦)

2011年3月12日土曜日

陸前高田市。壊滅状態・・とは。

3月18日 しんぶん赤旗から、転載します。
「 救援 不眠不休 」 陸前高田市の様子が、やっと分かってきました。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik10/2011-03-18/2011031801_03_1.html

記事の中の市議 藤倉 泰治さんは、先輩です(大20回)。
( 前の投稿で 中里 長門 前市長を、大学の大先輩としたのは、
  誤りでした。 訂正します。 )
元気で活躍されている事が分かり、嬉しいかぎりです。

(記事を転載します)



東日本大震災で岩手県沿岸部の陸前高田市は、全世帯の6割を超える5千世帯が津波にのみこまれました。死者・不明者が1972人、小中学校や公民館などに避難している人は1万547人います(県発表。16日午後9時現在)。日本共産党の斉藤信県議は16日、ガソリンを調達して激励・救援のために現地へ入りました。
 海岸に近い地域には、押し流されず残った建造物は、数えるほどしか見えません。気仙川の両岸には、海岸の方向から津波で押し流されてきた車や押しつぶされた民家の柱や屋根が、泥と一緒に高く積み重なっています。
 斉藤県議は、最大の避難所になっている第一中学校、県立高田病院の臨時診療所などを次々訪ね、被災者の現状、要望を親身に、かつ懸命に聞き取りました。
 市立高田第一中学校の避難所では、佐々木保伸校長が事実上の責任者を務めていました。「家を失った職員や親と連絡が取れない生徒がたくさんいます。立ち直りをどう支えるか考えながら、避難されてきた被災者のみなさんが安心して居られるよう自治組織を立ち上げるなど全力をあげています」と話し、教員の4月の人事異動凍結を要望しました。
 同所に避難している70歳の女性は、市役所の屋上で津波が押し寄せるのを見ました。「市役所の若い職員が屋上へ誘導してくれたおかげで助かりました。でもその人は犠牲になった。私が身代わりになればよかった」。涙が頬を伝います。
 ボランティアの男性(28)は「連絡手段がないので、足を運ばないかぎり情報が入ってこないし、連絡もとれません。せめて携帯電話がつながれば…」といいます。
 廃虚になった街には、連絡がとれなくなっている家族や親戚、知人を必死に探す人たちがいました。自営業の男性は、「掘り起こす道具も燃料もない。ガソリンと重機が必要だ」。いら立ちを募らせます。
 多数の党員も被災し、事務所も流失した同市の日本共産党は、震災直後から住民の中に入り、安否の確認、不眠不休の救援活動を続けています。
 藤倉泰治市議を本部長に現地災害対策本部を立ち上げました。前市長の中里長門さんの自宅を拠点に被害の調査、救援をすすめています。大津波で家を失った大坪涼子市議は、米崎小学校の避難所で被災者支援に懸命に頑張っていました。
 携帯電話、固定電話が復旧せず、ガソリンや灯油が圧倒的に不足しています。以前、党気仙地区委員長だった吉田まちこ県常任委員らが党員を一人ひとり訪ねて安否を確認するとともに、避難所を一つひとつ訪問し励ましています。現状、足りない物資、要望をよく聞き、市の災害対策本部に伝えています。 (秋山強志)


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陸前高田市。 一度も行ったことはありません。
しかし前市長の中里さんは、私たちの大先輩でした。
この間、後継者が選ばれたばかりと記憶します。

その陸前高田市が壊滅状態とは、どういうことなのでしょうか。
どうしたら、良い支援ができるのでしょう。

折しも、長野県栄村が別の地震で被害を受けています。
小さくても輝く自治体。その先駆けの村長さんがいる村です。
早く復興を願うものです。 (三浦)

東京信陵会 若手懇談会

千葉さんの近況です。 若手に属するのです、彼は。 
この記事は、下記のURLを参照ください。
http://ameblo.jp/tokyo-shinryokai/entry-10812807577.html