2011年6月24日金曜日

覚方 守さん(23回)  「ゴーヤの苗で緑のカーテンをつくる 」訴え

前山研一郎経由で届いた 覚方 守さん(23回)のメールです。 
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訴えそのものを貼付します。 クリックしてご覧ください。
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ゴーヤの苗で緑のカーテンをつくる”

      注文で復興支援にご協力お願い致します!!
ネットによる注文
  ・「Plant 2 Plant」  から 検索
   ・「P2P 発電所から緑の苗へ 南相馬発“ゴーヤのカーテン”」をクリック
   ・Plant to Plant のページがでてきますので
   ・「ご注文はこちら」をクリックしてください。
  ・「オーダーフォーム」からご注文お願致します。

これからの復興支援につながる取り組みとなります、個人でも会社であってもご協力頂ける範囲の中でお力をお借し下さいますよう、皆様よろしくお願い致します。

         福島県を以前の状態に戻すため微力ながら取り組んで参ります
                        覚 方  守






























2011年6月23日木曜日

管理人が出向きました:友人情報です。

管理人が出向きました。友人情報を掲載します。


1、後藤 雅子さん(大23回) 6月10日。
     同じ秋田出身ですが、ゆっくり会話したのは久しぶりです。

2、仙台友人一同と短い時間でしたが、談話しました。 6月12日
( 音声付きスライドをご覧ください。  
  阿部公雄さんの天国と地獄のヒトコトが印象的でした。 この 仙台友人一同談話 をクリック。)              http://www.youtube.com/watch?v=G2Kd0-NAubw

 ・村上英夫さん(大23回) 大島の被災を思い、絶句。 無理に録音させて貰いました。
 ・渡辺光敏さん(大23回) ブログトップの県庁前写真を撮影された方です。
 ・庄子幸太郎さん(大22回) 仙台市役所を退職し、今は嘱託。被災者支援を続けています。
  ご自宅も屋根が被害に遭い、修理が終わるまで自宅を離れての生活になるそうです。
  ・阿部公雄さん(大22回) 農協幹部として多忙。自宅の塀が倒壊し市広報に掲載されたそうです。

3、藤倉 英一さん(大22回) 6月13日
勤務先の事務所でお会いしました。 学生時代と同じように作ったポスターを、見てください。





2011年6月2日木曜日

管理人が出向きます:情報をお持ちください。

秋田、仙台、福島、神戸方面の同窓諸兄。 いつもブログ閲覧、ありがとうございます。
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ブログ管理人の三浦です。この9日から、各地に所用で出向きます。
震災に関連する情報をお持ちの方、写真など預託頂ける方、ご一報をもらえれば嬉しい限りです。 下記が日程と宿泊先です。 一応の会食予定は立てていますが、まぁとにかく一坏・・と思う方も、ご連絡をお待ちいたします。
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連絡) 三浦 携帯まで。  090-4218-6113。
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 9日(木)宿泊秋田市。 ドーミーイン秋田17時着。        018-835-6777。 (高校時代友人と会食予定。) 
12日(日)宿泊仙台市。 (庄子幸太郎氏と会食予定。 宿泊なしで福島市に移動か・・。) 
13日(月)宿泊福島市。 松川町に宿泊。
14日(火)宿泊神戸市。 ホテルモントレ神戸17時着。      078-392-7111。 (会社友人と会食予定。)

覚方 守さん(23回)のメールです。 「全国の福大同窓の皆さまへ発信お願いしたい件 」

前山 研一郎さんからのメールです。


三浦さん
覚方君からの「要請」がありましたので、これをブログに転載願います。詳しい事はわからないので、どう対処するかはこれからです。私は、明日(3日)から所用で仙台に帰り、市内と石巻、南三陸、気仙沼をこの目でみてきます。



 Subject: 全国の福大同窓の皆さまへ発信お願いしたい件

 前山 さま
 ・被災からまもなく三カ月が経過しようとしております。自分ができることがあるはず・・・考えた結果が、人災によりつくられてしまった”風評被害”を少しでも和らげていく取り組みに関わらせて頂くことで、福島県を以前の通常の状態に近づけることができるのではないか・・・、と考えられるようになってきました。
 ・今回、やっとそのような思いから自分が納得できる取り組みに”遭遇する”ことができました。全国にもその地域の名前は知れ渡りました浜通りに「南相馬市」がございますが(かつての原町市などが中心となり合併しました市です)その地方の”種苗生産団体”さま、かつては福島県のキューリの苗の30%近くを生産し、農業生産者の皆さんへ苗を供給する事を生業としておりましたが、今回の原発事故後、福島県内での農産物の出荷制限・摂取制限の影響から、また制限はかかっておらなくとも購入されない、売れても半値にもならない価格などから、農産物の苗も必要とされる状況でなくなり「苗をやむなく廃棄してしまう」という、苦渋の決断をされたそう です。

 ・今の環境でも「作れる苗があればつくりたい」、知恵を絞りたどり着いたのが、福島県で作ってきた
以前の苗とは違う「ゴーヤの苗」をつくることだったそうです。本来のつくりたい作物ではないが、

 ○今の環境で生産して安全である作物であること、(放射線量測定値から問題のない数値)
○これから向かえる夏場の節電対策の大きな武器となる”緑のカーテン”が作れる作物である個人の家、マンションで、会社・工場でも暑さ対策には貢献する”すぐれもの”であること
○これからの「復興の足がかり・キッカケ」となる取り組みとなる生産者の方は農産物が作れることがすべての前提であるのです。
以上の理由からこの生産団体の皆さんが立ち上がり、私がその内容を知ったのはNHKのニュースでありその内容が”体にビビビと流れるもの”を感じさせたのでした。今は民放系列の中でも紹介されるような取り組みとなっております。(ミヤネ屋など)
 ・すぐに先方さまと連絡を取り合い、この6月の中で私も関われる取り組みを提案しております。
*ヨークベニマルの店舗にて
○店頭スペースをお借りしての「ゴーヤの苗で緑のカーテンをつくろう」キャンペーンのPR
○インターネットにて 「ゴーヤの苗の購入」のPR
*全国の知人、友人、の皆さまへ
○インターネットから南相馬市の「ゴーヤの苗で緑のカーテンをつくろう」キャンペーンへの協力依頼

このふたつの取り組みにて「福島県の復興支援と、風評被害を払しょくしていく」取り組みにできるはず!!具体的に”私でもできること”が見えてきたところであります。

・そこで今回は前山さんへお願いしたい事があります。
全国に散らばった皆様にご協力のお願をしていただきたいのです。
○「ゴーヤの苗で緑のカーテンをつくろう」キャンペーンに賛同しご協力ください。農産物の苗の生産者が立ち直ることが、福島の農業の復興につながります。だから各地の皆さんに、是非「ゴーヤの苗」の基本セットの購入によります支援をお願いしたいのです。ホームセンター等の販売価格とは違います、復興支援の考え方に賛同頂きまして協力頂きたいのです。ひろく前山さんの伝手、人脈などによりまして、福島県の復興のキッカケとなりうるであろう取り組みへの賛同を得られれば、本当に頼もしい限りであります。
        ***具体的な注文などにつきましては、注文方法などが確定いたしましたら送らせて頂きます、その案内を使いましての皆さまへのPR、協力、お願いできましたら大変うれしく、感謝感激であります。
 *** 大変お忙しい中申し訳ありませんが、お力おかしくださいませ。 (文責:三浦)

2011年5月16日月曜日

大高 誠さん(22回)のメールです。 全障研への文章。

16日に大高 誠さんから届いたメールです。(三浦)


宮城の大高です。  実に懐かしいです。お元気のようで何より。 ブログへの転載、OKです。
昨日(15日)も石巻にボランティアで復旧活動を行ってきました。
 ある個人宅の床下の泥上げです。作業しやすいように床材をまず壊して、それから約2センチくらいの層になっている
ヘドロを麻袋に詰めて運び出す作業です。 アスファルトの柔らかくなったのを想像してもらえばよいです。
津波の押し寄せたところはどこもヘドロの置き土産があります。放置しておくとカビが生えたり、有害物質が発生するようです。津波はきれいな海水ではなく真っ黒な濁流なのです。
 震災後2ヶ月経っても一向に片付かないがれき、民家に突き刺さったままの車、あるはずのないところにある漁船。宮城の27年分の廃棄物が一気に吹き出してしまって、手はつけているが気の遠くなるような量です。
  町にはボランティアの若者があふれていました。私は全労連関係のグループで活動しましたが、他に無数の団体が入っていて、それぞれに腕章やゼッケンなどつけて活動していました。この若者たちとともに未来を切り開いて行こうという思いが体中に広がったような気がします。


前山 研一郎さんに寄せられたメールを転載します。
大高 誠さんは、私の同窓で、同じ秋田県出身です。 心配をしていました。(三浦)


宮城の大高です。
 お見舞いありがとうございます。
 古川は震度6強(3.11、4.7)で古い建物はかなり被害がありました。
 幸い私の家は本や食器が壊れ落ちたくらいで建物にはそれほど被害はありませんでした。 地震保険の調査で「一部損壊」ということです。保険金額の5%が給 付されました。 
 4月上旬に全障研に送ったメールです。その頃の私の思いです。
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 震災から早一月が経ちました。停電が解消し(10日後くらい) 震災後初めてテレビを見た時に、津波はこんな映像で報道されていたんだと思い知らされました。 それまで新聞で写真は見ていましたが、映像で見たときのショックは私の写真からの想像を遥かに超えていました。これが津波なのかと。
 気仙沼、石巻の知り合いの安否が気になりましたが、携帯電話をかけるまで躊躇しました。一刻も早く安否を確認したいという思いともしやという思いとが交錯して 携帯のボタンを押す指先が震えていました。電話はつながりました。電話の向こうに友の声がありました。無事でした。家は流されていました。学校で勤務の最中、2キロの道を必死に駆け上って逃げたそうです。車は流されました。すべてが流されて涙一粒も出ないと話していました。
秋田の甥っ子から電話が来ました。私が 無事でいることに感激していました。人が生きていること自体に素直に感動せずにいられない、そんな状況でした。3週間後、ようやくガソリン事情が通常に戻った ので被災地に行きました。 自分の思い出の中の沿岸部の浜の様子を直に見てみたいという思いにかられて支援でもなくボランティアでもなく、とにかく行ってみたかったのです。石巻、女川、 志津川(南三陸)。一体、何が起きるとこのような事態になってしまうのか、どんな力がこれほどまでに破壊し尽くすのか、これほどの自然のパワーってあるのか、私には想像ができませんでした。「津波」のイメージと目の前のがれきの山の現実がつながらないのでした。自分の目線より遥かに高いところまで襲ってきた津波の黒い水の固まりを想像できませんでした。何人の人がその黒い水の固まりに飲まれたことか、いまだ実数がつかめていません。そこに生きていた根拠がすっかり失われてしまいました。記録も流失しました。それを記憶していたであろう隣人もいないかもしれません。生きていたことも死も記録されずにこの世から消えてしまったかもしれません。
 「がんばれ!」って頑張っていない人に向ける言葉です。もっとできるはずだと。或いはもっと伸びるという期待を込めた励ましです。しかし、被災地の人にガンバレ! はむごい言葉です。私たちは一日も早い復興を願って静かにできることをやるしかありません。
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 沿岸部の地盤沈下と福島の原発被害は将来への夢を打ち砕いています。これまで生きてきた土地での復興、再生ができるのかどうか、どの地で頑張ればよいのか、今のところ希望の地を見いだせていないのが現状です。震災失業もあふれています。とりあえずの失業保険で食いつなぐとしても、それは最長2年のことで、その先は何も見えていません。明日は石巻で支援活動をします。「何かした い、自分に何ができるか」そんな思いで日々暮らしています。  大高 誠

金野 堅市さん(23回)の消息を教えてください!  河本 兼美さんから。

金野さんご自身はご無事でした! 
23回千葉さんの連絡を待ちたいと思います。(三浦2日)


先程、同期の千葉仁志くんから電話ありまして、先週木曜日行方不明だった金野くんからハガキが届き、無事だったことが確認できました。電話で話しもできたようで、津波がきたとき、高齢の両親を車に乗せて逃げようと必死だったようです。津波の速さに呑まれ無我夢中で自分がどうなって助かったか記憶がないとのこと、両親は体も不自由ということもあり亡くなったそうです。金野くんが助かったか後、記憶をたどり車をみつけ、両親をみつけることができ、報道されたように、土葬で仮埋葬し、しばらくしてから火葬ができて、供養したようです。詳しくは、千葉くんが、ブログ森合通信に投稿しますのでよろしくお願いいたします。 (河本さんから、1日にメールでご連絡がありました。)

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三浦隆様

この度は、前山先輩の一通のハガキから「森合通信」のブログにまで繋がることができ感激しています。やはり、人生を特に後半の第2の人生を豊かに、楽しくしていけるのは、
気のおけない友人や仲間の存在だと思っています。
このブログは、福島大学時代の仲間の情報交換ツールとして
今後大いに役立つと思いますし、活用したいです。少しでも輪を広げていきたいです。
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大震災後、同期の千葉仁志くん
(長男・和彦くんは、J1新潟アルビレックスDF背番号3)と話したのですが、
同期で旭寮で共に過ごした金野堅一?(こんの・けんいち・気仙沼在住)くんが
その後連絡が取れない、もしかすると津波に襲われたかもしれないと。
あれだけの大きな災害でしたので情報がつかみきれていない状況だと思います。
もし、安否情報をお知りの方がいらっしゃいましたら情報をお寄せください。 
23期生 河本兼美(信夫寮・男声合唱団)     

三浦追記 16日: 正しくは 
金野 堅市さん です。 朝日新聞で検索しましたが、確認できません。
どなたかご存知でしたら、安否情報をお寄せください。 お願いします!
金野 堅市さんは数年前、気仙沼市の山側から海側近くに転居されたとの、河本さん情報です。


三浦追記 16日: 仙台信陵会ブログができたとのことで、そちらにも投稿しました。  

2011年5月14日土曜日

西沢 重雄さん(18回)のメールです。旭寮OB情報です。

前山研一郎さんに寄せられたメールを、転載します。(三浦)

一寸前の情報ですが、まとめたものなどを、以下に記載します。
安否で気になるのは、やはり同年代でお互い顔を知った仲間(寮など)です。
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( クリックすると、拡大します。 掲載の方の氏名は新着情報等に掲示しません。 三浦 )